義経神社
義経神社は源義経公を御神体としており、この御神体は近藤重蔵らにより寛政11年(1799年)この地に安置されたのが始まりとされています。明治9年(1876年)に村社の指定を受け名実共に平取義経神社として全国にその名を広めました。
本神 社にまつわる義経伝説には、義経公はこの地を訪れアイヌ民族をこよなく愛し、農耕や舟の作り方、操法、機織り等の技法を伝授したことから、住民は義経公を慕い「判 官様」または「ホンカンカムイ」と呼んで尊崇したと伝えられています。
寛政10年(1798)に近藤重蔵が東蝦夷地を探検の際、この地のアイヌ民族が源九郎判官義経公を崇拝していることを知り、法橋善啓に義経公の像を作らせ平取の地に寄進安置したと記録に残っております。
この木像は高さ一尺程度(30センチ)で御神像台座の背面には、「寛政11年己未4月28日近藤重蔵・藤原守重・比企市郎右衛門・藤原可満」墨書きされており台座底には、「江戸神田住大仏工法橋善啓」と書かれております。